(注)初脱ぎの年月日は媒体の発行日に準じています(発売日とは異なります)
01 ビビアン・スー
1995年1月25日
“台湾の宮沢りえ”が日本上陸
【初脱ぎ媒体】
「Angel」1995年1月25日発行 集英社
1995年はシーローセン(徐若瑄)が活動拠点を日本に移した年で、最初に手掛けたのが前年の9月15日に台湾で発売した初ヌード写真集「天使心」日本版のリリースだった。“台湾の宮沢りえ”と大々的に宣伝されたシーローセンはビビアン・スーと改名。「Angel」とタイトルを変更された日本版「天使心」は集英社からリリースされ大ヒットとなる。続いてCDデビューを果たした彼女だったが、人気はまだそれほどでもなくB級アイドルが集うイベントなんかにも出ていた。 1997年に「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」で結成されたブラックビスケッツのメンバーとして活躍してから人気が爆発した。
02 高岡早紀
1995年1月30日
皆が驚いたパーフェクトボディ
【初脱ぎ媒体】
「one,two,three」1995年1月30日発行 ぶんか社
1988年、14歳の時に2代目マドラスイメージガールに選ばれ、岡田真澄と踊ったCMで話題となった高岡早紀。同年には歌手デビューも果たした彼女、そのグラマラスボディは当時から注目の的だった。初めてその豊満な体を披露したのは前年にされた公開の映画「忠臣蔵外伝 四谷怪談」でのこと。そして、こちらの初ヘアヌード写真集リリースへとつながっていく。呆れるほどの巨乳ぶりが驚きで大胆な脱ぎっぷりが評判を呼んだ。
03 千葉佳代子(T-BACKS)
1995年2月10日
お尻の迫力が凄かった
【初脱ぎ媒体】
千葉朱令「By Me」1995年2月10日発行 スコラ
1993年にデビューしたT-BACKSのメンバー、バァーチこと千葉佳代子。1994年に「千葉佳代子の前世占い」という本も出した彼女はグループ解散後に霊能者を名乗り、その筋では知られた存在となった。一方、千葉朱令という芸名でこちらの初ヘアヌード写真集を発売。セクシータレントの割りにバストが小さかったが、お尻の迫力はさすがといえよう。現在は千葉一二三という名前でスピリチュアルカウンセラーとなっている。
04 安藤小径(桜っ子クラブさくら組)
1995年2月20日
「ペントハウス」創刊号の目玉として用意されたヘアヌード
【初脱ぎ媒体】
安井小径「Full Fudge Fiction」1995年2月20日発行 ぶんか社
1990年の第6回ザ・オーディション決戦大会で桜っ子クラブさくら組入りした安藤小径。番組(「桜っ子クラブ」)を卒業し、安井小径と改名。さくら組では夏目奈美に続く2人目のヌードだが夏目がヘアを披露していなかったので実質ヘアヌード第1弾ということになる。このヘアヌードは当時創刊された、ぶんか社版「ペントハウス」第1号の目玉企画だった。さくら組の人気がまだ残っていたこともあって裸を切っ掛けにカムバックを狙ったが、残念ながらその後の活動は伝わってきていない。
05 夏樹陽子
1995年2月20日
40過ぎの女優を担ぎ出す
【初脱ぎ媒体】
「XX ビザール」
1995年2月20日発行
ぶんか社
夏樹陽子は1977年の東映映画「空手バカ一代」ヒロイン役でデビューした女優ですでに40歳を過ぎていた。こちらは同年に公開された主演映画「XX ダブルエックス 美しき標的」絡みでリリースされた写真集。スクリーンでは見られなかったヘアを公開した。
06 梅宮アンナ
1995年3月5日
予想以上に素晴らしかった裸身
【初脱ぎ媒体】
「アンナ 愛の日記」1995年3月5日発行 新潮社
元“不良番長”の梅宮辰夫をして“希代の悪”と言わしめた羽賀研二との共演にちょっと引いてしまう梅宮アンナの初ヌード写真集。さすが西洋人の遺伝子を引き継いでいるだけにボディは文句の付けようがない上物と言える。ハチ切れんばかりのおっぱいやプリンプリンのお尻がたまらなく日焼け跡のエッチさといったら決して純日本人には出せないものだった。ペアヌードにせよ単体ヌードにせよ、梅宮パパにとってみればどちらも悲しかったに違いないのだが、当時入れ込んでいたカレと一緒でもなければアンナが裸を披露することもなかったと考えれば我々は羽賀研二に感謝しなければならない。
07 嶋村かおり
1995年3月15日
脱いでからのほうが有名
【初脱ぎ媒体】
「MELLOW」 1995年3月15日発行 スコラ
80年代末から本名の松本香織で芸能活動を開始。嶋村かおりとなってから168cmという高身長、スタイルの良さを活かし、グラビアモデル、レースクイーンとして活躍、1991年には念願の歌手デビューを果たした。厳密には言えば彼女の初ヌード披露は1994年公開の初主演映画「ナチュラル・ウーマン」で、共演者の緒川たまきとのレズシーンが話題となった。この映画の主役は嶋村だったのだが、当時はまだ無名だった緒川たまきがその後ブレイクしたため、今では緒川の脱いだ映画としての印象が強い。こちらはよりセクシーな路線を打ち出した嶋村が発売した初ヌード写真集。引き締まったおっぱいとお尻を披露しスレンダー好きを狂喜させた。彼女といえば写真集のリリース数の多さで知られるが初ヘア披露となったのは1999年の「GRACE」である
08 優加しおり
1995年3月15日
20歳を過ぎたアイドルに
剃毛ヌードはキツかった
【初脱ぎ媒体】
「LOLLIRIN」
1995年3月15日発行
海王社
優加しおりはインディーズアイドル集団、原宿探検隊の元メンバーで1992年にソロデビュー。彼女といえばイベントでお辞儀をした際にバストの谷間を見せたことで有名。当時アイドル投稿誌などで大きな話題を呼んだ伝説のポーズは本人とスタッフが考え出した演出だった。こちらの初ヌード写真集でも自作自演が行なわれており、当時20代半ばという年齢に関わらず陰毛を剃りパイパンになるなど話題作りに奔走していた。
09 菅野美寿紀(こんぺいとう)
1995年4月28日
かつては10万人と握手したアイドル歌手
【初脱ぎ媒体】
「MOON」1995年4月28日発行 スコラ
1989年のスーパーアイディストコンテスト・パンツの穴賞を受賞し、1990年の映画「パンツの穴・ムケそでムケないイチゴたち」に出演。1991年に高市智子とのデュオ、こんぺいとうで歌手デビューを果たした菅野美寿紀。こんぺいとうはデビューの際に10万人のファンと握手会が行なわれるほど注目度が高かったが、徐々に人気が低迷し1994年に解散。こちら一人で芸能界を生き抜くことになった菅野がリリースした初ヘアヌード写真集。ムッチリ体型はあいかわらずで何とも抱き心地が良さそうな体がたまらなかった。続いて同年9月に公開された映画「美女奉行 おんな牢秘抄II」では濡れ場を披露。21世紀になるとその名を聞かなくなっていたが、2003年にサントリー「和茶」のテレビコマーシャルに出演した謎の美女が菅野美寿紀と判明。翌2004年には相棒の高市智子がSM雑誌で緊縛ヘアヌード(&アソコにバ◯ブを挿入)を披露するという目を疑うような事態が起こった。
10 浜田範子(セイントフォー)
1995年5月10日
メンバーの中で一番最後に脱いだ
【初脱ぎ媒体】
NORIKO「BITE IT!」1995年5月10日発行 ぶんか社
40億円とも言われた巨額のプロモーション費用で1984年にデビューするもののゴタゴタに巻き込まれ短期間で解散してしまったセイントフォー。浜田範子はグループ解散後、同グループの鈴木幸恵とロックデュオ「ピンクジャガー」を組んだことでも知られている。セイントフォーはオリジナルメンバー4人中、3人が裸になるという記録を残したが、浜田は最後にヌードを披露。こちらのヘアヌード写真集はNORIKOという芸名でカムバックした時に撮影されたもので、当時すでに30歳だったもののその若々しさも話題になった。現在は濱田のり子で活動中。
11 LiLiCo
1995年5月25日
逮捕後の加納典明氏が選んだヌードモデル
【初脱ぎ媒体】
LILIKO「前夜」1995年5月25日発行 風雅書房
映画コメンテーターだけでなくテレビタレントとしても絶好調のLiLiCo。旧芸名LILIKO時代を知る者にとって現在の活躍は驚きだ。彼女といえば「月刊THE TENMEI」で一世を風靡し1995年にわいせつ罪で逮捕された加納典明氏が、復帰する際に選んだ第1弾モデルだった。こちらはそんな彼女が唯一リリースした写真集でキワドいカットのオンパレード。また女優としても同年12月に公開された「82分署」を皮切りに「Would you like to dance?」(1996年)、「援助交際 ツーショットダイヤルの女たち」(1997年)、「サソリ 女囚701号」(1998年)と毎年のように脱いでいた。
12 細谷宏美(フェロモンズ)
1995年6月8日
「平成女学園」にも出ていた
【初脱ぎ媒体】
藤谷ひとみ「スコラ」1995年6月8日号 スコラ
前年まで放映されていたフジテレビのバラエティ番組「殿様のフェロモン」から生まれたフェロモンズの元メンバー。番組終了後は藤谷ひとみと改名し「平成女学園」などに出ていた。こちらはスコラ誌上でたった1度だけ披露したヘアヌードグラビア。形の良い乳房に豆つぶのような乳首が愛らしいが、モヒカンのように逆立った陰毛がスゴ過ぎである。
13 大西結花
1995年6月15日
風間三姉妹では
最初のヌード
【初脱ぎ媒体】
「FLORE」
1995年6月15日発行
ワニブックス
1985年に歌手デビューした大西結花。おニャン子クラブのブームの陰で苦戦したが翌1986年から始まったドラマ「スケバン刑事III」の出演で知名度がアップ。浅香唯、中村由真、大西結花の風間三姉妹としてブレイクし、初のヒット曲「シャドー・ハンター」も生まれた。その後の彼女はスケバン刑事のイメージが強すぎたせいか多くのアイドルの中で埋没してしまうことになる。こちらは経営不振に陥った所属事務所のために文字通り一肌脱いだ初ヘアヌード写真集。続いて同年10月に公開された映画「眠れる美女」でもヌードを披露している。
14 電波子18号
1995年7月31日
本家の電波子よりも早く脱いだ
【初脱ぎ媒体】
「じゅうななさいっ」
1995年7月31日発行 竹書房
(写真は「週刊ポスト」
1995年8月11日号のパブグラビアから)
日本テレビ「進め!電波少年」から出てきたアイドル。正体は安達一恵という現役女子高生タレントで撮影された時の年齢はタイトル通り17歳だったと言われている。写真集の内容はヘアヌード。当時は児童ポルノ法が施行される前だったこともあり、ご覧のように週刊誌も彼女の写真集の宣伝するためにごく普通にヌードグラビアを掲載している(当サイトではスミベタの修正を入れました)。滝島あずさがヌードになったのが2000年だから本家の電波子よりもずいぶん早く脱いだことになる。
15 黒沢真琴(桜っ子クラブさくら組)
1995年8月25日
もともとはピンで売り出されたアイドル歌手の藤原久美
【初脱ぎ媒体】
愛禾みさ「BONITA」1995年8月25日発行 ワニマガジン社
1991年の東鳩オールレーズンプリンセスコンテストでベストアイドル賞を受賞。1993年度、最初にCDデビューを果たしたアイドルが彼女で、その時の芸名は藤原久美だった。翌1994年には黒沢真琴と改名。なんと桜っ子クラブさくら組の追加メンバーとして登場し、新人アイドルのふりをしていた。さくら組には1994年8月末の番組終了まで参加していたが、再び驚かせてくれたのが愛禾みさに改名してのこちらヌード写真集だった。
16 麻倉未稀
1995年9月4日
スクール☆ウォーズ世代狂喜
【初脱ぎ媒体】
「Miki Asakura in Bali」1995年9月4日発行 スコラ
1985年にドラマ「スクール☆ウォーズ」のテーマ曲「ヒーロー」を大ヒットさせ、オリジナル歌手であるボニー・タイラーを上回る歌いっぷりだった麻倉未稀。歌以上に素晴らしいのがそのボディである。厳密に言えば彼女の初ヌード披露は1993年5月にリリースした写真集「Si」となるのだが、こちらの初ヘアヌード写真集「Miki Asakura in Bali」のほうが断然内容が良いので当サイトではこっちを採用する。当時35歳で決して若いとは言えないがパンパンに張るおっぱいが素晴らしかった。
17 工藤史乃(Chu-Dog)
1995年9月4日
謎の多いセクシーグループ出身
【初脱ぎ媒体】
「マイ・シークレット・ビーチ」1995年9月4日発行 スコラ
(写真は「スコラ」1995年9月14日号のパブグラビアから)
Chu-Dog(チュードック)は謎の多いセクシーグループである。初代は雪野真由美、長尾朱美、早瀬千里の3人組で確かに活動実績があるのだが、その後メンバーだと名乗る者が次々と出現。その数は把握できただけでも10人以上。工藤史乃もその一人で、こちらの初ヘアヌード写真集のパブグラビアでも“元Chu-Dogのド迫力ヌード!!”と謳っていた。
18 紺野樹里(T-BACKS)
1995年9月14日
ニューハーフじゃなかったことを証明
【初脱ぎ媒体】
「スコラ」1995年9月14日号 スコラ
T-BACKSでのニックネームはジュリ。セクシーグループの中でも不良が集まったって感じのT-BACKSだったが、メンバーで一番のワルそうな雰囲気を持っていた紺野樹里。一時ニューハーフじゃないの?なんて噂もあったほどの風貌だが、初ヘアヌード披露となったこちらのグラビアではニューハーフというより熟女といった趣きだった。グラビアだけで写真集のリリースはなかったが、同年11月に公開され主演をつとめた映画「虜 TORIKO ザ・ボディ」ではハードなレ◯プ・シーンに挑戦していた。
19 沖直美
1995年9月15日
沖縄出身の女優さん
【初脱ぎ媒体】
「ALLORA」1995年9月15日発行 ワニブックス
アナウンサーを目指し沖縄から上京、東京アナウンサーアカデミーを卒業した後に女優に転身した沖直美(現・沖直未)。1986年、NHK銀河テレビ小説「清水みなとストーリー」のヒロインに抜擢され注目を浴びる。厳密に言えば彼女の初ヌード披露は1994年にポニーキャニオンから発売されたビデオ映画「コンプレックス・ブルー」。この映画で連続猟奇殺人事件に巻き込まれる監察医を演じた沖。刑事で恋人役の古尾谷雅人とのベッドシーンで可愛らしいおっぱいを披露していた。こちらはそれに続く初ヘアヌード写真集。当時30代半ばの撮影だが張りのある肌、引き締まったウエストなど見どころが満載だった。
20 山崎美智子(乙女塾)
1995年9月22日
茶屋町学園おちゃめ組としても活動
【初脱ぎ媒体】
石川萌「恥じらい」 1995年9月22日発行 音楽専科社
(写真は「週刊現代」1995年3月25日号のパブグラビアから)
乙女塾はフジテレビのバラエティ番組「パラダイスGoGo!!」内のアイドル養成所。山崎美智子はその乙女塾6期生。大阪の毎日放送がプロデュースしたアイドルユニット「茶屋町学園おちゃめ組」クラス番号2番という経歴の持ち主でもあった。こちらは週刊現代のために撮り下ろしたヘアヌードグラビア。好評を得て同じカメラマンによる撮影で写真集が発売された。元乙女塾の肩書きを売りに石川萌と改名してのことだったが、そういえば元乙女塾を謳って脱いだタレントは彼女以外に記憶にないのだが...。
21 三宮しのぶ(モモコクラブ)
1995年9月25日
念願の歌手デビューは脱ぐことが条件だった
【初脱ぎ媒体】
SHI・NO・BU 「Lollipop Angel」1995年9月25日発行 KKベストセラーズ
フジテレビのおニャン子クラブに対抗すべく、TBSが1986年10月から放映をスタートさせたアイドルバラエティ番組「モモコクラブ」。伊藤美紀、酒井法子、白田あゆみ、島田奈美といったレギュラー陣が次々とソロデビューしていく中、三宮しのぶはモモコクラブの主要メンバーだったにも関わらずレコード発売の話が実現しなかった。1987年9月に番組が終了。それから約8年、SHI・NO・BUという謎の女性シンガーがCDデビューし、その直後にこちらのヘアヌード写真集を発売した。SHI・NO・BUの正体は三宮しのぶ。写真集の宣伝文句に“アイドル歌手を夢見る少女が夢に近づくためにすべてを脱いだ”というのがあったが、当時の彼女はもはや少女ではなく23歳のオンナだった。
22 谷川彩華(黒BUTAオールスターズ)
1995年9月25日
ELTの持田香織はかつてのお仲間
【初脱ぎ媒体】
本田なな子 「banana boat」1995年9月25日発行 KKベストセラーズ
1993年にデビューした黒BUTAオールスターズの2期生メンバー。2期生といえばEvery Little Thingの持田香織が在籍したことで有名だが、この谷川彩華の存在も忘れられない。卒業後まもなく本田なな子に改名し、“嵐ヨシユキの秘蔵っ子が見せた!”というキャッチコピーでヘアヌード写真集をリリース。アイドルにしてはポッチャリ体型が妙にリアルだった。ちなみに嵐ヨシユキは横浜銀蝿のリーダーで彼女をプロデュースしていた嵐(らん)のこと。嵐氏は80年代に岩井小百合で実現させた成功を再び夢見ていたのだろうか。
23 竹越ミカ(桜っ子クラブさくら組)
1995年9月28日
存在感がほとんどなかった後期メンバー
【初脱ぎ媒体】
前田里香「Melty」1995年9月28日発行 スコラ
西邑理香がMCを務めていたテレビ東京の「MUSIC IN CLUB おんなのこ探偵団」(1994年)の出演者のひとりで、桜っ子クラブさくら組には1994年4月から加入。すでに18歳という年齢で在籍期間が短かったこともあり注目度は低かった。番組終了後は前田里香に改名し、こちらのヘアヌード写真集をリリース。マイナーな後期メンバーだったため、さくら組のファンにさえ「前田里香=竹越ミカ」となかなか気付いてもらえなかった。
24 染谷正美(セクシーメイツ)
1995年10月15日
セクシーグループを代表する逸材
【初脱ぎ媒体】
染谷まさ美 「Symbol」1995年10月15日発行 ぶんか社
テレビ東京のバラエティ番組「ギルガメッシュないと」の出演者である星野かおり、斉藤りさ、そしてこの染谷正美の3人によるギルガメセクシーメイツ。(のちにセクシーメイツに変更)。もともとレースクイーンの染谷は170cmを超える長身でセクシーグループのメンバーの中でも特に目立った存在だった。番組ではランジェリー・ファッションショーやランジェリー探偵団・セクシームーンなどのコントで活躍。また彼女は、芳賀研二、木村一八、火野正平といったタレントとの男性遍歴でも話題を集めた。これは染谷まさ美として改名してリリースした初ヌード写真集。意外に小振りなおっぱい、長い脚、抜群のプロポーションをいかんなく堪能できるがヘアの露出がないのが何とも残念だった。翌1996年にはソロシンガーとしてCDデビューを飾っている。
25 大沢逸美
1995年11月30日
ジェームス・ディーンみたいな女の子
【初脱ぎ媒体】
「CAST」 1995年11月30日発行 ぶんか社
1982年ホリプロタレントスカウトキャラバンのグランプリを受賞し、翌1983年にテイチクの一押しとしてデビューした大沢逸美。デビュー曲「ジェームス・ディーンみたいな女の子」そのままの風貌で登場し、ボーイッシュなアイドルの代名詞となった。1986年までの間に数多くのシングルをリリースするがドラマ「ヤヌスの鏡」をはじめ“主役に対抗するキツい女”といった役柄を好演していた。あれから約10年、短かった髪も伸ばした大沢がヘアヌードを披露。大人の女性になっていたことに驚かされたが尖った乳首にも驚いた。
27 田山真美子
1995年12月10日
持ち歌だけでなくその裸も悲しさを誘った
【初脱ぎ媒体】
「Pureness」1995年12月10日発行 ワニブックス
もともとは子役だった田山真美子。増田未亜とのビデオ「地球防衛少女イコちゃん2」(1988年)での美少女ぶりが評判を呼び1989年に歌手デビュー。5枚のシングル、2枚のアルバムを出しアイドル氷河期と言われる時代に健闘した。また、中山忍、河田純子との期限限定ユニット楽天使や七つ星のメンバーとして活躍。河田がリタイア、中山が女優として活躍する中、リリースされたのがこのヌード写真集である。小室プロデュース全盛だった当時、田山のような昭和の香りを残すアイドルに行き場がなかったの無理もない。同年12月に公開された井上晴美の主演映画「82分署」でもフルヌードを披露。大人の女優に転身を図っていたが、その後数本のVシネマとドラマに出演しフェードアウト。引退時にまだ20代という若さだっただけに惜しむ声も多かった。
28 飯島みゆき(Dee Dee)
1995年12月20日
ソソりまくりのボディを披露
【初脱ぎ媒体】
「飯島みゆき PHOTO COLLECTION 32」1995年12月20日発行 ぶんか社
(写真は「アクトレス」1996年2月号のパブグラビアから)
1993年に遠藤賀子と組んだセクシーユニットDee Deeの活動が知られる飯島みゆき。飯島といえば映画「Would you like to ダンス?」(1996年)での好演が忘れられない。女優を夢見るストリッパーと真面目な警官が恋に落ちるラブストーリーでヒロインを演じた彼女。役柄通りの脱ぎまくりで丸出しのおっぱいにグラインドする腰つきがイヤらしかった(共演者のLiLiCoもヌードを披露)。こちらは映画の前に披露したヘアヌード。スタイルの良さは折り紙付き。形の良いバストに迫力のお尻、引き締まったウエストなど見放題だったが、なぜか写真集ではなく32枚のフォトアルバムという形式で発売された。