セピア色のひみつ  お読みの前に

 

まず、最初に『セピア色のひみつ』を

当サイトで掲載するに当たり

特定の人物・団体・関係者・遺族

誹謗・中傷する意図がないことを表明いたします。

 

 

『セピア色のひみつ』を掲載した最も大きな理由は

遠藤康子がモデル、アイドルとして残した功績、

その人物像、魅力が忘れ去られていると思ったからである。

 

遠藤康子は86年組のひとりだ。

 

30年経った現在、彼女に関する重要な情報は皆無に等しい。

 

『セピア色のひみつ』は、遠藤康子のデータを少しずつ丹念に掘りおこし

取材から知り得た新情報を元に彼女への思いを綴った原稿がベースとなっている。

 

実際のところ、遠藤康子に対する思いを半分も表現できておらず、これは完成型ではない。

 

今回の掲載原稿は第1稿というか、サンプル版なのである。

 

これからも時間の許す限り、取材を続けるし、加筆・修正などを繰り返す予定だ。

 

では、なぜサンプル版なのにエピローグまで用意して公開したかというと

今年の冒頭に『まぼろしのアイドル 2015年版』の公開を宣言しつつも

諸事情で作業が滞り、何も発表できなかったかわりに

 

『セピア色のひみつ』を『まぼろしのアイドル 2015年版』の序章として

待って頂いていた方々に公開したいと思った次第なのだ。

 

遠藤康子は「まぼろしのアイドル」にふさわしい。

 

「遠藤康子こそ絶対に忘れてはならないアイドルだ」と声を大にして言いたい。

 

なぜなら遠藤康子がデビューすることになった1986年という年が

アイドルにとって分岐点となった年であり、彼女はキーパーソンだからだ。

 

1986年といえば、岡田有希子の自殺とおニャン子ブームである。

 

この年は、アイドル界にとって「ソロアイドルの死」と「グループアイドルの台頭」という

極めて象徴的な出来事が重なった重要な年となった。

 

遠藤康子はその狭間を懸命に生きた女のコだった。

 

振り返ってみると86年組は中々どうして、粒ぞろいである。

 

山瀬まみがデビューしたのはこの年だし、

山瀬の紹介で大魔神・佐々木投手と結婚&離婚した清水香織、

留学先のロスで事故死した志賀真理子、元子役の早瀬優香子、

忘れられた東宝三人娘の藤代美奈子、

現在はジャズ評論家として活動する島田奈美など

個人的に思い入れのあるアイドルが多い。

 

86年組の最大のスターは沢田玉恵だと思う。

 

持論だが、アイドルは短命(刹那)であればあるほど良い。

 

沢田玉恵は、1983年に行われたCBS・ソニー主催のコンテストで

弱冠12歳にしておニャン子加入前の可愛その子を破った天才少女である。

 

それから3年後、万を辞してデビューしたものの

予想したほどのセールスには結びつかず、シングル盤2枚を残して

活動1年も満たずに芸能界を辞めた。

 

ありったけのプロモーションを仕掛けて、強烈な印象を残し、早々と撤退する。

 

私は沢田玉恵の中に理想のアイドルを見る。

 

しかし、刹那な点では沢田玉恵よりも遠藤康子に軍配が上がる。

 

遠藤康子は人生そのものから撤退した。

 

永遠の17歳。

 

その類いまれな美貌、激しい生き方は今も私を魅了してやまない。

 

来年2016年はユッコ(岡田有希子)の没後30年に当たる。

 

おそらく、ユッコのことは大勢の方々が哀悼の意を表明するだろう。

 

ヤッコ(遠藤康子)のことも思い出して頂ければこれほど嬉しいことはない。

 

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