山中すみかさん

早いもので明後日からはもう5月だ。
4月が終わる前にこのネタを書きたかった。
 
今からちょうど25年前の1989年4月。
 
「四月白書」という曲でデビューした
山中すみかというアイドル歌手がいた。
 
クラス替えして半月経つ 目立たない私だけど〜♪
 
「四月白書」はまさに往年のアイドルのド定番
“目立たない”女のコ(=私)が主人公。
 
内気な少女の苦しい胸の内を歌った片思いソングだ。
 
放課後、好きな男のコが他の女子と仲良く帰るところを目撃し
ショックで少し泣いてしまう私。
 
告白することはおろか
密かな片思いを誰にも相談できずにいる私。
 
彼がいつの日か自分を見てくれることを願う私。
 
サビがグッとくる。
 
お・ね・が・い
カバンにしまったボヤけた写真
そっと取り出して祈るだけ〜♪
 
もの悲しいピアノの旋律と
山中すみかの淡々とした歌い方が涙を誘った。
 
「4月白書」を引っさげて登場した時の
彼女はまだ13歳・中学2年生。
 
可憐な美少女。
というか単なる子供だった。
京都弁でのんびり話すのが微笑ましかった。
 
恋の何たるかを知らない
京都なまりのか弱い中学生が
人柄が滲み出るような声で歌った。
 
そこに私はヤられる。
 
彼女のほんわかしたキャラクターに魅せられた人々は
“すみかん”というネックネームをつけた。
 
私が出版社に入った90年代初頭、すみかんはまだ現役だった。
先輩の編集者にファンがいて、よく取材に行っていたのを思い出す。
 
山中すみかは「アイドル冬の時代」に突入した
1990年代において十分健闘したと評価できる。
 
世間的には“目立たない”ままだったが
イベントには大勢集まった。
 
ちゃんと固定ファンがいた。
 
私も往年のアイドルの匂いを残す
すみかんを嫌いになれなかった。
 
だが、活動わずか3年で引退。
すみかんは故郷・京都に帰っていた。
 
1990年代が終わる頃
「山中すみか死亡説」という噂が流れた。
 
噂は心ないものだったと言えるが
彼女はいい意味でも悪い意味でも
押しが弱いアイドルだったので
そういう噂が立つような儚さを持っていた。
 
彼女のファンクラブの会報を作っていた人物と
仕事を一緒にしていたこともあり
本人は健在であり、死亡説が嘘なことは知っていた。
 
前述した書籍「あの人に逢いたい 〜まぼろしのアイドル〜」
(2000年4月発売)で
すみかんを引っ張り出そうと動いたことがある。
 
結論から言うと本に出てもらうことを断られた。
 
「そっとして欲しい」とのことだった。
当時24歳になっていた、すみかん。
 
物凄い美人になっている
ということを伝え聞いていたので
がっかりした記憶がある。