初脱ぎ1997年

(注)初脱ぎの年月日は媒体の発行日に準じています(発売日とは異なります)

立原麻衣

01 立原麻衣

 

1997年2月1日 

 

Zero WOMAN主演女優

 

【初脱ぎ媒体】

「NoWoN Vol.21」1997年2月1日発行 ワニブックス 

 

同年4月に公開された映画「Zero WOMAN 名前のない女」のヒロインに抜擢された立原麻衣。元々はアイドルだった彼女、こちらは映画公開を記念して事前に発表された初ヌードグラビア。艶めかしいおっぱいとお尻で悩殺してくれた。この年、俳優の西村和彦と結婚したが2005年には離婚している。


中島宏海

02 中島宏海 

 

1997年2月7日 

 

越智静香、八木亜希子らとユニットを組んでいた

 

【初脱ぎ媒体】

「Wet Dream…」1997年2月7日発行 スコラ

 

80年代からモデルとしてJAL、資生堂、コカコーラなど多くの一流企業CMに出演、1991年にはバラエティ番組「ビデオの女王様」で共演した越智静香、八木亜希子と結成したユニット、Q3で歌手デビューした中島宏海。ドラマ「愛という名のもとに」(1992年)で本格的に女優デビューして以来、ドラマのみならず膨大な量の映画やVシネマなどで活躍。そんな彼女のヌードが味わえるのがこちらの写真集で、おっぱいな小さめだがスレンダー好きにはたまらない内容となっている。


つぐみ

03 つぐみ 

 

1997年5月20日 

 

ファースト写真集はマイナー出版社から

 

【初脱ぎ媒体】

「TSUGUMI」1997年5月20日発行 東京三世社  

 

つぐみといえばテレビ朝日の深夜ドラマ「サイバー美少女テロメア」(1998年)の主演女優として思い出深い。この円谷プロが製作した特撮ドラマで超能力女子高生アサギを熱演。共演者の嘉門洋子、三輪ひとみ、森ひろこといった人気アイドルに負けない魅力を放っていた。こちらはそれ以前にリリ―スした初ヘアヌード写真集。当時はまったくの無名で版元のマイナーさから女優というよりヌードモデルという趣きである。見せていないパーツはないってほどの内容。一時はホリプロに所属し期待の若手女優と目されていた彼女、スター名鑑でも大竹都々美という本名を公開していた。管理人は劇団、本谷有希子の舞台「遭難、」(2006年)でその高い演技力を目撃したが、近年は仕事に恵まれていなかったようで2010年のAV出演を最後に芸能界からフェードアウトした。


04 真行寺君枝 

 

1997年8月7日 

 

お金に困った夫婦の打開策だったが...

 

【初脱ぎ媒体】

「made in love」1997年8月7日発行 ぶんか社

 

70年代から活躍する女優の真行寺君枝。長い芸能生活で初めてリリースした写真集はヌードだった。元ザ・テンプターズのドラマーで彼女の旦那・大口広司氏の撮影ということもあり、この大物夫婦のコラボレーションを版元のぶんか社は「ペントハウス」誌上で大々的に宣伝。しかし、同時期に菅野美穂のヘアヌードが突如発売されたおかげで本作はほとんど話題にならなかった。お金に困って発売したのに散々なセールスに終わったせいなのか夫婦の仲は悪化。夫婦は2005年に離婚している。


青山麗子

05 山本麗子(B.C.G.)

 

1997年8月15日 

 

1年以上も待たされた写真集

 

【初脱ぎ媒体】

青山麗子「CALL GIRL」1997年8月15日発行 ぶんか社

 

11人の大所帯で1993年にデビューしたB.C.G.の元メンバー。小室哲哉プロデュースで結成されたB.C.G.はその後は5人組のB.C.G.COREに縮小された。再生グループの候補から外れた山本麗子は青山麗子と改名し脱ぐことに。厳密には彼女の初脱ぎは前年に公開された主演映画「監禁逃亡 淫らな獲物」絡みで発表されたヌードグラビア(「Dr.ピカソ」1996年2月23日号)。同じカメラマン撮影によるヘアヌード写真集の発売が1年以上も待たされた上、直後に菅野美穂が脱いだためまったく話題とならなかった。


06 菅野美穂(桜っ子クラブさくら組)

 

1997年8月22日 

 

突然のリリースに世間は大騒ぎ

 

【初脱ぎ媒体】

「NUDITY」1997年8月22日発行 ルー出版

 

こちらの「NUDITY」以降、人気が落ちるどころか逆に女優としてトップクラスに成長した菅野美穂は稀な存在だ。桜っ子クラブさくら組時代から“水着にもならないアイドル”と言われてた彼女が一気にヘアヌードなのだからその衝撃は宮沢りえの「Santa Fe」以上。涙の釈明会見、清純派ということで起用されていたCMが打ち切られるなどワイドショーを賑わせた。極秘に進められた「NUDITY」はセールス的に大成功。その後、菅野側とルー出版との間の裁判沙汰が勃発した。菅野側は発売から3ヶ月後、ルー出版に絶版を申し入れ「54万部で発売中止」ということになっていたのだが実際には82万部売りさばかれていた。その差額は4億円。引き上げたはずの原盤フィルムもコピーされていたらしい。


大野幹代

07 大野幹代(CoCo)

 

1997年9月30日 

 

20代前半に脱いだのは正解

 

【初脱ぎ媒体】

「scarlet」1997年9月30日発行 ワニブックス

 

1989年にCoCoのメンバーとしてデビューした大野幹代。CoCoは90年代前半のアイドルシーンをリードし、大野自身も1992年にソロデビューを果たすが、1994年9月をもってグループは解散。各自ソロとして活動を続けることになった。CoCoの中でも押しの弱かった彼女。思うように活躍の場が持てなかったのは残念だが、その殻を破り大胆なヌードシーンに挑戦したのが1997年12月に公開された映画「Zero WOMAN 消せない記憶」だった。映画公開を記念し事前に発売されたのがこちらの初ヌード写真集。帯には“覚悟のフルヌード”というキャッチコピーが謳ってあるもののヘアの露出はなかった。元CoCoという肩書き、初々しい白い肌、ピンク色の乳輪といい話題性は申し分のなかったが、やはり菅野美穂が脱いだ衝撃の余波に相殺されてしまった感がある。


原千晶

08 原千晶 

 

1997年12月20日 

 

Tバックを脱ぎ捨てたクラリオンガール

 

【初脱ぎ媒体】

「Bora bora」1997年12月20日発行 小学館

 

hitomiFavorite Blueの松崎麻矢らと共にファッション誌「Fine」のモデルとして活躍。その後、1995年度クラリオンガールに選ばれ、本格的に芸能界入りした原千晶。クラリオン選出時はフンドシを彷彿させるTバック水着が注目で、グランプリの特典で発売したシングルは本人いわく“日本一売れなかったシングル”だそうである。1997年から放映されたTBSの深夜番組「ワンダフル」で初代司会者を務めるなど彼女の名前はそこそこ浸透。こちらはそんな矢先に出された突然のヘアヌード写真集だった。


ローバー美々

09 ローバー美々

 

1997年12月30日 

 

パンモロしながらニュースを読んでた人

 

【初脱ぎ媒体】

「ibiza」1997年12月30日発行 ぶんか社

 

前年まで日本テレビで放映された深夜番組「ロバの耳そうじ」においてチチダス美々と共にエロを売り物に活躍したローバー美々。ニュースキャスターに扮し大まじめな顔でニュースを読んでいるローバーが大股を開いてふんどしに書いてある字を見せるという「大股開きニュース」は人気を得て、この芸名ままヘアヌード写真集を発売した。そんな彼女だがもともとはアイドル志望で、80年代半ばには「かわのえりこ」という名前で「夕やけニャンニャン」の「アイドルを探せ」にエントリーしていたことが知られている。なお、お仲間のチチダス美々はもともとAV女優なので当サイトの初脱ぎでは紹介しなかった。